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杉野学園の歴史

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杉野芳子とドレメ


挑戦の精神、創造する力、自立する能力

杉野芳子

本学園の創設者杉野芳子は、日本の近現代の過渡期にあって、単身渡ったアメリカで自分自身の生活体験の中から西洋衣裳の制作技術と服飾文化を身に付けて、帰国後日本における服飾教育を開始しました。その目指すところは日本における洋装の普及定着と服飾技術の修得による女性の自立でした。彼女は洋装を日本人に適合させるための洋裁技術としてドレメ式原型を考案し、日比谷公会堂で日本初のファッションショーを開催するなど、日本における服飾教育の確立とモードの創出に取り組みました。彼女はファッションを20世紀の新しい芸術の一分野として捉え、パリのエレガンスを日本に紹介しました。彼女の取り組みのすべてがパイオニア精神で満たされています。

杉野芳子は1926年(大正15年)にドレスメーカー女学院(現ドレスメーカー学院)を創設し、自身が考案したドレメ式原型による服飾教育を展開しました。家庭洋裁の盛行の時代であった昭和30年代後半には、ドレメの卒業生により設立された系列校が全国で700校を超えるまでになりました。現在も約100校の系列校が全国で服飾教育を推し進めています。

杉野芳子の建学の精神は、挑戦(チャレンジ)の精神、創造する力、自立(自己実現)する能力であります。